ZERO発信・2018夏号/泉川博之氏インタビュー

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2018・ZERO展大賞受賞者 泉川博之氏インタビュー

2018・ZERO展は、これまで躍動感のある大作を続けて出品されてきた泉川博之さんの絵画(表紙写真)が大賞を受賞しました。大病を得て「生きることは描くこと」「絵は私の命」とおっしゃる泉川さん。今回は、その泉川さんへのインタビューをお送りします。夙川の源流沿いの瀟洒な洋館の地下にあるアトリエにお邪魔してお話を伺いました。

本日はお忙しいなか、お時間をいただきましてありがとうございます。
早速ですが、絵を描き始めたきっかけを教えてください。

小さいころからね、好きやったんですよ。父親の友人に画家がいて、僕が小学生くらいのとき、その方がよくうちに来られてて、週一回、近所の連中が集まって、その方に絵を見てもらってた。別に何も教えてくれへん。ただ、絵を見て、「金賞」「銀賞」「努力賞」って、三重丸つけてくれんねん。それが嬉しくって、今でも覚えてる。

じゃあ、その体験から、中高も美術部に入ったとか?

いや、中学・高校・大学と、一切、美術とは関係ない生活をしてて、就職してから、社内の美術部に入ったんが、本格的なスタートやな。

へえ、それは何かきっかけがあったんですか?

最初はね、空手部に入ったんです。大学の頃からやりたかったんやけど、大学の道場覗いたら、7回生やら8回生やらがごろごろおって、ここに入ったら卒業できへんなって思ってあきらめて。それで、就職して、すぐ八尾の空手道場に入って、そしたらもう、面白くてね、のめり込んで、週5日通ったんやけど、病気で3回も手術。それで中断期間がだいぶあって、復帰したけど、仕事も忙しくなって、だから社内の空手部でまた稽古に励んで、30歳過ぎてからやけど黒帯とって。

ははぁ。 全然、絵につながってきませんけど?

うん、ところがね、34、5歳の時に、人からお前の趣味は何やと訊かれて、仕事と空手以外に自分の好きなもんって何やって思ってね。それで、空手やってた反動か、もう無性に絵が描きたくなって。

じゃあ、空手部をやめて一転、美術部へ。

いや、空手も続けてたよ。空手と美術、両立してた。どっちも好きやったし、両方やる方が調子ええねん。他の人は知らんけど、僕の場合、運動することと絵を描くことは、相乗効果というか、二つやることで互いにうまくいく。だから、今でも、ジムに行って運動してから、アトリエに来て絵を描くと、もう「最高の気分」。最近のシリーズのタイトル通り。もし運動やめて絵だけに専念して、ってなったら、たぶん全然楽しくないと思う。

なるほど。ところで、会社のクラブだと、専門的に習うというより、各々好きな絵を描くというイメージですが、当時はやはり独学で?

うん、最初は独学。ただ、僕にとって絵の恩師と言える人に出会って描き方が変わった。美術部に入った後、40歳になる前かな、誘われて「グループ中之島」ていう、当時400人くらい会員がいる大きな美術グループに参加するようになって。そこにいた本多太郎という先生が、すごい絵を描くんですよ。すごく大胆な絵。もうそれが好きで、またのめり込んだんです。とにかく、その先生につきまとって、つきまとって(笑)。
ふつう油絵って乾かさなあかんでしょ。乾いてからでないと、次また重ねて塗ったりできない。そうするとその日のうちに仕上げられへん。でも、その先生の技を使うとそれが可能になる。こう筆で色を塗るっていうじゃなくて、置いていく。それをずっと真似して、自分も習得できた。乾くのを待たずに上からどんどん描いていける。描いて、乾かして、また描いて、乾かして、ってそんなまどろっこしいことしてられへん。今の気分とか衝動のままに描いていかないと、大事なものが逃げてしまう。僕、1日で2枚仕上げたこともあるよ。もちろん、最初は技量もないし、10号の絵でも1日かかって半分も描けへんかったけど、だんだんとその先生の技を身につけるようになって、そしたら20号でも30号でも、その日のうちに仕上げられるようになった。

すごいですね。 その先生の元でずっと描いてはったんですか。

うん、先生が亡くなるまで20年以上。でも、先生が亡くなって、僕も仕事が忙しくなって、グループの方向性も変わって。
それに、定年退職を迎える、ちょうどその時に、血液癌で入院することになって。僕、定年を会社じゃなくって、病院のベッド上で迎えたんですよ。1年間、抗癌剤治療。なんとか治まって、その年の11月に個展することになってたから、無理言うて退院して。

大丈夫なんですか?

なんとか。けど、僕、入院中も、絵描いてたんよ。入院してる間、運動もできへんし、なんかできへんかって考えて、油絵は無理でも水彩なら描けるやろと。ほんで、せっかくやから普段やらへんんことしようと、馬の本を病室にいっぱい持ち込んで、毎日馬の絵を描いてた。えらいもんで、毎日続けてたら、骨格とか全部頭に入るようになって、何も見んでも、例えば前脚上げて立ってる姿勢とかもそれらしく描けるようになった。そんで、その11月の個展に馬の絵を10数枚出したら、あっという間に全部売れて、追加注文まで来た。びっくりしたで。

京都造形芸術大学の通信教育部に入ったのはその後ですか?

退院して一年半後かな、体はしんどいけど、何か楽しいことしたい思ってて、たまたま友人と話してて、入学しみようと。

そのころは、もう絵のキャリアは20年以上あって、ご自分の絵のスタイルも確立されているのに、そこから、またなんで基礎から学ぼうと?

一つは、絵って、どうやって教えるんやろっていう興味があって。ただ、通信でもスクーリングとかも多くて、病後の体ではしんどかったけど、それでも予定通り3年で全部の単位を取って卒業した。
そこで学んだのは、絵の描き方っていうか、進め方。課題も、0号とかの小さい絵から、だんだん大きくなっていって最後は100号。その大きい作品を作るために、どういう準備をして、下絵をどんな風に描いてっていう。気持ちのまま描いていたそれまでの自分のやり方とは全く違って計画的に描く。そういう別のやり方を学んで、引き出しが増えたというんかな。

その影響も受けた上で、現在の描き方はどんな感じですか?

最初にこんな感じの絵を描きたいなっていうのはあって。でも実際、何を描くか決めるまでが長いね。
ZERO展に出す作品とかも、もう、ギリギリまで迷ってることも多い。ただ、決まってしまえば、早い。大学で習うやり方は、小さい下絵を水彩で何枚も描いてっていう方法やけど、そこを僕はパソコンでやる。写真とか、絵とか組み合わせて、色を替えたり、構成を考えて。それができたら、後はもう、カンバスに向かうだけ。もちろん、大作やから、何日もかかるけど。でも、描くものが決まって、どう描くかもわかってるから、描きたい気持ちがどんどん湧いてくる。子どもの時の、遠足の前の日のワクワクした気持ちみたいに。ここのアトリエに来ると、もうテンションが上がって、描いてるとめちゃくちゃ楽しい。「最高の気分」で描いている。

1日何時間くらい描かはるんですか?

長いときで7〜8時間、短いときで4時間くらいかな。今日はここまでやるっていうのは決めないんです。決めちゃうと、気持ちが乗らないのに描かないといけなくなってしまって、それは楽しくないし、いい絵にならない。気分が乗って、集中して描いてて、それが楽しいから、いつの間にか時間が経ってるって感じ。

今年大賞を受賞されましたが、去年までと違ったんですか?

正直、これまでZERO展では、どこか、なんとなくでやってたところもあって、でも今年は、たまたま体調も良くて、本気でやろうと。今までS100号の2枚組と1枚ものの2作品で出品してたけど、今年は2枚組を二つ描こうと。このアトリエ、地下で、コンクリートの打ちっ放し、隙間風も入りまくりで、1月とか、ほんま凍え死にそうになるけど、絵を描いていると寒さも忘れて夢中になる。本気で取り組んだら、これまで以上に「最高の気分」で描くことができた。

大賞も予感してはったとか?

賞を狙ってたわけちゃうんやけど。
僕は2月のZERO展の他に、5月に造形大の卒業生・在校生のグループ展と、6月締切・8月展示の造形大の公募展、この三つに毎年出品することに決めてて。ただ、僕の絵って専門家からはあまり評価されへんねん。一般の人には受ける絵でもね。それは自分でもわかってて、造形大の公募展も、初年度だけは観客投票やったから、大賞をもらえた。これは正直狙って獲った。次年度からは教授たちだけで審査するようになったから、箸にも棒にもかからへん。ZERO展でも、審査員はみなさん色んなバックグランドを持ってはる人たちで、偏った評価の仕方ではないけれど、やっぱり賞は無理かなと思ってた。僕、審査員やしね※。でも、すごく気持ちが乗って描いた作品やったから、評価されたんは嬉しいね。

最後に今後の目標を聞かせてください。

体力が続く限り、これまでのペースで絵を描いていきたいなと。あと、病気で中断してたけど、絵を教えることを今年は再開しようと思っていて。大したノウハウではないけれど、自分の持っているものを、全部惜しみなく人に伝えたいと思っています。

ご活躍を期待しています! 今日は本当にありがとうございました。

 

泉川 博之(いずみかわ ひろゆき)
  • 1943年生まれ 兵庫県姫路市出身
  • 1966年 大阪工業大学電気工学科卒業。シャープ株式会社入社
  • 1979年 絵画制作を本格的に始める
  • 1989年 グループ中之島入会。本多太郎画伯に師事
  • 1990年以降、さまざまな公募展に入選・受賞を重ね、また翌年から毎年個展を開催
  • 2003年 定年退職 直前に悪性リンパ腫を発症、一年間の抗癌剤治療で寛解
  • 2005年 京都造形芸術大学通信教育部芸術学部美術家洋画コース入学(2008年卒業)
  • 2008年 毎日新聞 大阪版 シリーズ「がんを生きる」に掲載(翌年含め3回)
  • 2009年 20回記念個展(大阪府立現代美術センター)
  • 2010年 第1回京都造形大学芸術通信教育課程卒業生・修了生全国公募展 大賞、以降毎年出品
  • 2012年 京都造形芸術大学 大阪クラブOBG展、以降毎年出品

ZERO展には、2006年に初出品、以降毎年出品を続ける。
大阪府教育委員会賞(2008)、会友賞(2009)、会員賞(2010)と連続して受賞し、2010年より運営委員、2011年より審査委員を務める。2018年、大賞を受賞。

 

松井正賞受賞の増田素子さんよりひとこと【受賞作「想いのかけら」(金属工芸)】

この度は松井正賞という大変立派な賞を頂き本当にありがとうございました。作品は銅板を中心にした立体作品で、うれしかったり悲しかったりといった日々の色々な想いのかけらのイメージをかたちにしました。いつも力不足な私を優しく見守り励まして下さる諸先生方、諸先輩方のおかげで自身が想像できないくらい長く 楽しく作品づくりをさせて頂いております。


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